3月24日浜田山小学校卒業式

 3月24日は、浜田山小学校の卒業式、112名が卒業証書を受け取り、元気に巣立って行きました。校長先生の式辞は、日本の理化学研究所が合成した原子番号113番の元素が、国際機関によって「新しい元素」として認定された画期的な成果を紹介し、夢は実現するものであり、希望を持って進んでいくよう期待したものでした。少し難しい話でしたが、生徒達はよく聞いていました。
 浜小の合唱は定評があり、ハーモニーが美しく、聞くものに心からの感動を与えるほどです。芽吹き始めた桜の変わって、校庭では菜の花が満開で、春を伝えてくれました。

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3月23日舞鶴市議会原子力防災特別委で発言

 2月21日に高浜原発30キロ圏自治体に、全国自治体議員259名連名で提出した請願が、3月13日高島市議会で、22日高浜町議会で、23日舞鶴市議会で審議されました。23日は、請願提出者の趣旨説明ができるとのことで、日帰りで舞鶴市に出かけ、原子力防災特別委員会を傍聴し、途中請願代表者として、趣旨を述べる機会を得ました。15の傍聴席は満席、朝日、京都新聞、産経、毎日の地方版(舞鶴市民新聞)が取材し、翌日報道されました。
 議題は、私たち議員連の「再稼働前に避難計画の実効性と住民説明会を求める」請願と、ヨウ素剤の事前配布を求める地元市民団体の2本の請願でした。
 私たちの請願は、紹介議員の小杉悦子議員から簡潔な趣旨説明が行われ、私から請願を提出するに至った経過、自治体議員の会の性格など補足したのち、審議に入りました。
 紹介議員に対する質疑に小杉議員が的確に答え、その後意見を求められ、共産党議員が採択を主張、他の会派は不採択。その理由は、「請願の趣旨は、理解できるものの、市内事業者などが原発に支えられていることから、再稼働に反対できないので不採択」という消極的なものでした。自民党系の反市長派の議員は、「福島の経験から原発はいずれなくすべきもの」とまで言いながら、結論は、市民団体請願も含め「不採択」でした。

 

(写真は傍聴した市民団体と)

 

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3月20日代々木公園に脱原発1万入が集う

  3月20日、代々木公園で開催された「いのちを守れ!福島を忘れない さようなら原発全国集会」は、天気に恵まれ1万1千人(主催者発表が参加しました。反原発自治体議員・市民連盟は、たんぽぽ舎や再稼働阻止全国ネットのブースの一角をお借りし、連盟のニュース最新号を配布し、4月23日の連盟の総会への参加を呼びかけました。

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3月19日朝鮮第9初級学校卒業式

 3月19日、阿佐谷の朝鮮第9初級学校の卒業式に参列しました。卒業生代表が途中何度もこみ上げるものを押さえながら読み上げる姿に胸が熱くなりました。
 今年はその後の謝恩会に参加できました。最後に先生方一人一人の挨拶があり(写真)その思いを聞くことができました。何度か困難にぶつかりながら、子どもたちに勇気づけられながら続けてこられたという先生の言葉に感動し、こころからの激励の拍手がわきあがりました。

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3月17日心洗われた高井戸中学校卒業式

  • 3月17日高井戸中学の卒業式に参加し、心洗われる思いでした。在校生のしっかりした贈る言葉、卒業生代表の頼もしい決意と感謝の言葉、見事な合唱に何度か胸を熱くしました。しかも、校長先生の卒業生に送る言葉は、参列した私たちの心にも残る素晴らしいものでした。
     
     萩原校長は、まず、「卒業生の向かう時代は、フランス革命やアメリカの独立革命、明治維新などに比すべき時代の転換期であり、そのように時代に生きたある人のことを話します」と切り出し、いまや日本の生産量第1、世界のブランドとなった静岡茶の成り立ちを、以下のように話されました
     
     186715代将軍徳川慶喜は大政奉還により静岡に隠居します。その際、慶喜の身辺警護を勤める「新番隊」に属する武士たちも同行し駿府に移り住みました。しかし1869年版籍奉還により、新番隊はその任務を解かれ職を失いました。剣の達人であった隊長の中條景昭は、剣を捨て、荒れ地であった牧之原台地の開墾を申請し、茶畑をつくる決断をしました。誇り高い武士から農民になるという一大決心でした。開墾をおこなうのが農業の素人集団であったため、苦労と失敗の連続で、去っていく者もいました。中條の指導力で結束を固め、ついに日本最大の茶畑が実現しました。
     校長は、今や日本を代表するお茶処、世界にも通用するグリーンティーを産する牧ノ原台地が、このような中條たちの決断と情熱によって拓かれたということを伝えました。「時代の転換期にはこれまで思いもよらない困難に出会うこともあるが、その時こそ自分が変わるチャンスとして前に向かって進んで欲しい」と、卒業生に熱く語りました。すこし長い話でしたが、生徒たちも聞き入り、心に止めたことと思います。

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    3月16日区議会第1回定例会が終わりました

     

    3月16日、議案が採決され、第1回定例会が幕をとじました。3月3日から15日まで予算委員会が開かれ、特に保育園待機児童問題、杉並第1小学校建て替え問題、高円寺小中一貫校問題などの議論が交わされました。緊急プランで、2300人を超す認可保育園の増設がはかられ、現在一部認可園に入れなかった方の調整が行われています。4月までには保育士も何とか確保できたと確認できました。
     公園を利用したことに反対する意見が依然として出されたものの、そうしなければ0~1歳児の待機児童が100人以上出ていたことになります。公園の代替地は当面の対策とともに引き続き区の努力を求めました。
     杉並第1小学校の建替え・複合化計画に、昨年8月河北病院の建替えに伴い病院跡地への移転建て替え案が急浮上しました。生徒の教育環境を考慮すれば、校庭も地上で広くなり建て替え期間中プレハブに入る必要がない新案には賛成です。しかし、杉1小の建て替え計画は、老朽化した校舎の早期建て替えを願う保護者・地域の声に応えながら計画されてきた経過があります。移転計画は、開校が8年ほど遅れることから、今のところ保護者の中には、変更案には反対する声もあります。区としては、長期的な視野に立ち、保護者や地域の懸念に応える丁寧な合意形成をはかるよう求めました。写真は老朽化で課題が残る杉並第1小学校。

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    高浜原発再稼働に関する請願が高島市議会と舞鶴市議会で審議されます。

     昨日、電話でよい知らせが届きました。3月21日提出した高浜原発再稼働に関する請願が、3月13日滋賀県高島市議会の総務常任委員会で、3月23日午後3時半から舞鶴市議会の原子力防災・安全等特別委員会で審議されることを、紹介議員が知らせてくれました。舞鶴市議会では、請願代表者の陳述ができるので、ぜひ来てほしいとの依頼でした。一定も終わり、その日の私のスケジュールの延期をお願いし出かけることにしました。15名が傍聴できるというので、若狭の市民団体にも連絡し傍聴をお願いしました。
     近々大阪高裁で逆転判決が出されようと、事故が起きた時の避難計画が全く実効性もない現状、たとえ避難できても故郷に帰れない福島の二の舞は何とし避けなければならず、現状では再稼働を見あわせるよう強く求めてきます。写真は紹介いただいた共産党市議団の小杉悦子議員。

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    3月11日「3.11忘れない」集会に参加

     杉並区は災害時相互援助協定を結ぶ南相馬市を震災直後から支援してきました。以来、3月11日に「3.11を忘れない」集いを毎年行い、3.11を風化させることなく学ぶ機会としてきました。
     今年は災害時に協定を結んでいる新潟県小千谷市からNPO法人防災サポート小千谷理事の風間久司さんをお招きし、災害に負けない地域づくりをお聞きしました。その後南相馬市の復興の映像と桜井市長の映像メッセージでその力強い歩みを受け止めました。まず心打たれたのは、杉並区役所から南相馬市に出向している職員たちの元気な仕事ぶりを映像で見ることができたことです。さらに、防災に関する区立小中学生の作文コンクール表彰式と素晴らしい作文の朗読にも感動しました。

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    3月11日豊多摩高校卒業式ビラまき

     3月11日、地元豊多摩高校の卒業式に、正門前で教員と市民でつくる「都教委包囲首都圏ネット」のビラまきを、新城さんと3名で行いました。東京都教育委員会が14年前、石原都知事の支持を受け、生徒と教員に「卒業式と入学式で日の丸に向かい、君が代を起立して歌う」ことを強制する通達を出しました。これに従わず処分された先生方は延べ478名にのぼります。以来、都立高校の卒・入学式で卒業生や教職員、保護者の皆さんに、卒業のお祝いを申し上げるとともに、君が代を歌わない自由があることを訴えてきました。先生の中には「ご苦労様」とねぎらいの言葉をかけてくれた方もいて、心強くしました。

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    3月4日東京大空襲朝鮮人犠牲者追悼会

    1945年3月10日の東京大空襲は、数十万の死傷者を出した大惨事として語り継がれながら、その折に朝鮮人犠牲者が4万1千余、死者は1万人を超えたことは知られていません。植民地の下で日本に連れてこられ、軍需工場などで過酷な労働に従事していた方々です。東京慰霊堂にはその遺骨も収めされていますが、韓国や共和国の遺族に早く届けたいものです。3月4日両国にある東京慰霊堂で追悼会が行われ今年も参列しました。日朝友好促進東京議員連盟からは芦沢一明渋谷区議会議員が追悼の辞を述べました。

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